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遠藤興業株式会社は「人と技術と自然の調和を目指す」総合建設会社です。

TEL. 0225-95-8333

〒986-0856 宮城県石巻市大街道南二丁目9番13号

  梯子乗り

伝統技術の継承

  • 遠藤興業では、「宮城県鳶土工業連合会若鳶会」による「梯子乗り」技術の伝承を継承するため、若鳶会の活動を支援しております。
    「梯子乗り」(はしごのり)とは、伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。
    江戸時代の町火消の伝統をいまに伝えるものとして、出初式では地元の鳶工業会の有志のみなさんが演技をされる場合が多いようです。
    青竹で組んだ梯子は、三間三尺(約6メートル)の青竹に、14段の小骨(はしごの桟)を付け手作りで製作する。
    はしごを12人の鳶口で支え、その上で演技を実施します。
    なぜ梯子の上で技を披露したり、木遣り(きやり)歌なのか?
     江戸時代の消火活動は、放水消火ではなく、延焼を防ぐのを目的に、周囲の家を取り壊す
    「破壊消火」が中心でした。
    そのため、町火消は鳶職出身者が多かったのです。
    元々、鳶ははしごを使って作業を行う仕事。
    高所での危険な作業に求められるのは、機敏さ、慎重さ、勇敢さであり、それは火消の仕事も同じこと。
    そんな理由から、町火消が消火活動のためにはしごを取り入れ、出初式でもその技を披露するようになったのです。
     現代の出初式はしご技を披露しているのも、鳶職の人たちです。
    一方「木遣」は、大木などを運び出すときの掛け声や音頭取りの歌が起源になったとも言われている。本来大勢で作業するとき力を合わせるために歌うもので、鳶職人が仕事中で歌ってきました。
    そのため、木遣も自然と町火消の中に溶け込み、受け継がれていった。
    消火時には、サイレンの代わりにもなったとも考えられています。



宮城県鳶土工連合会「若鳶会」と遠藤会長



枕邯鄲(まくらかんたん)

右灰吹に腹の中心をのせ左右の灰吹の外側から右手首と二の腕でからみ頭を横正面に向けて、左手と両足を同時にのばす。





一本遠見(いっぽんとおみ)

灰吹の上に尻をのせ、右足を灰吹にからませ左足を膝の上にのせる。




二本背亀(にほんせがめ)

灰吹に首をのせ安定したら手を叩き、両手両足を同時に開く。



「梯子乗り」活動予定新着情報



お嬢のハシゴ録 リ ン ク

遠藤興業株式会社

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宮城県石巻市大街道南
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FAX 0225-95-8385




梯子は、喜式内社の陸奥国百座のうちの一座である宮城県石巻市に鎮座する「鹿嶋御児神社」に祈祷して頂いている。
 御子神の鹿島天足別命は、経津主神の御子神である阿佐比古命と共に東夷征伐と辺土開拓の命令を受けて、海路を下向して奥州へとやってきたという。天足別命と阿佐比古命の乗った船が現在の石巻の沿岸へ到着し停泊した時、錨が石を巻き上げたことから「石巻」とこの地を呼ぶようになったという伝承が残されている。



鳶口とびぐち

 トビの嘴(くちばし)のような形状の鉄製の穂先を長い柄の先に取り付けた道具
 丸太や原木など木材の移動・運搬・積み上げや、木造の建築物の解体や移動(曳き屋)に使用される。古くは鳶職を中心に組織された町火消の消防作業に使われた。このため鳶職という名が冠されたともいわれる。


印半纏
しるしばんてん

 
鳶職、大工、左官、植木屋などの職人たちが着る仕事着で、広袖(ひろそで)または筒袖、丈は腰くらいまでの半纏。仕着(しき)せ半纏、お店(たな)半纏ともいう。単(ひとえ)と袷(あわせ)がある。
 紺木綿に家紋、名字、屋号、記号などを背中に大きく、また衿にも白抜きにしてあるので、この名がある。紺のほかに茶木綿も用いられた。
 大店(おおだな)では盆、暮れに、出入り職人たちに仕着せとして与え、また職人の親方が弟子や小僧に支給した。江戸後期になると、盲縞(めくらじま)の腹掛けにももひきと半纏を一組みにした着方が職人の制服として定着し、この風習は明治、大正、昭和の初めころまで引き継がれた。
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