序段
「2020東京オリンピック聖火リレー・1964五輪聖火台を誘致」東日本大震災から、4年が過ぎた。沿岸部を覆ったがれきは姿を消し、代わりにかさ上げ工事の盛土に変わった。復興は途上だが、着実に進んでいる。
2020(平成32)年の東京オリンピックも開催まで5年となった。競技の一部は被災地でも行われる見込みで、東北でも盛り上がりを見せる。
実は、五輪の聖火台が一時的に、宮城県石巻市に移設される。先の大戦から立ち上がった象徴が1964(昭和39)年の東京五輪なら、5年後は震災復興を世界に発信する大会にしなくてはならないだろう。
聖火台を誘致した「東京オリンピック・パラリンピック聖火リレー出発地・聖火台誘致委員会」が市内で発足したのが平成26年2月。
NPO 法人石巻体育協会伊藤和男会長も事務局長として参加し、五輪関係者に陳情に奔走した。
「スポーツで復興を盛り上げたい」
聖火台誘致は伊藤会長の念願だった。
平成27年1月末時点で死者・行方不明者が被災自治体では最大の3972人に上った石巻。
「6年後はハード面の復興は終わっている。次は心の復興だ」。
五輪に被災地が参加することで「震災を忘れない」というメッセージとなる。
■経緯
誘致委員会が発足する半年前の平成25年10月、「国立競技場聖火台の石巻市へ誘致」する活動を行う意向を示したNPO法人石巻市体育協会伊藤和男会長へ、地元企業として聖火台(以後炬火台と言う)台座の製作支援を行う事を表明した。
この事によって、誘致準備委員会は予算等最大の懸念事項がなくなり本格的に誘致交渉へと進んでいった。
「戦後復興の灯」となった国立競技場炬火台を、東日本大震災最大の被災地石巻市として「復興の灯に」と、伊藤会長は石巻から聖火リレーを始める意義を「一番被害が大きかった石巻からスタートすることには大きな意味がある」と強調する。
平成26年9月30日、日本スポーツ振興センターは炬火台を石巻市へ貸し出すことを発表した。
日本スポーツ振興センター河野一郎理事長と、石巻市亀山紘市長が、貸与の覚書を交わした。
式典で河野理事長は「震災復興のシンボルとして、甚大な被害を受けた石巻市に貸与する」と述べ、亀山市長は「復興の火、鎮魂の火をともすことで、震災に遭遇したすべての人に前に進む気持ちを起こしていただきたい」と話した。
1964年の東京オリンピックからちょうど50年になる平成26年10月10日、国立競技場の建て替えに伴い炬火台が取り外された。
設計は平成26年12月から本格的に始まった。イメージパースは11月18日に日本スポーツ振興センターとの打ち合わせ時に提出したが、設置場所での事前調査が間に合わず概略となっていた。
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